【教学ノート】1

大白法 平成26年1月16日(第877号)

 

「教学ノート」1ページ 「はじめに」

 

 今回から始まる「教学ノート」とは、

日蓮正宗の信仰を正しく行うために日蓮大聖人様の教えを学ぶノートです。

この「教学ノート」の’’教学’’とは、

一般的な教育と学問・教えることと学ぶことなどの意味ではなく、

日蓮大聖人様の教え、日蓮正宗の教義を正しく学ぶ」という意味です。 

 前御法主日顕上人猊下は、大聖人様の教えを学ぶことのすばらしさを、

「仏法の教えを少しずつ学び、 身につみ 知るとき、今まで見えなかったものが見え、

識らなかったものが明らかとなって、法の悦びに心が 高まる。

まさに真の遊楽であり、あらゆる人の実生活に即した尊い大光明である」

(大日蓮587号)と仰せです。

私たちは日蓮正宗の信心を根本に、

しっかりと学校で教わる勉強と一緒に仏法の教えを学んでいくことで、

本当の幸せを知ることができるのです。

 さて涅槃経には

「信ずるものにして慧無くば顛倒して義を解するが故に、法を聞く者にして仏法僧を謗ぜしむ」( 御書291ページ)と説かれ、

信心がある人でも正しい智慧がなければ、教えを誤って理解してしまい、

仏様・教え・僧侶(仏・法・僧の三宝)を

非難することになってしまうと説かれてます。

本来敬うべき三宝を非難することは、大きな罪となり、絶対に幸せにはなれません。

せっかく大聖人様の正しい教えに巡り会うことができたのですから、

「教学ノート」を通して御書や御法主日如上人猊下の御指南を拝読し、

しっかりと正しい知恵を身につけ、信心をより強固なものにすることが大切なのです。 

 さらに御法主上人猊下は、

「やはり教学、学問というのは最終的には一つの行動として現れなければならない。

(中略)『学は之れを行うに至って止まる』という言葉があります。

学問というのは行動に出て初めて完成するという意味であります。(中略)

ただ学問として、知識として内に秘めるだけで理として持っているだけではなくして、

広宣流布のためにしっかりと役立てていく

実践行動のための教学こそが大事ではないかと思います」(大日蓮726号)と

仰せです。

 したがって、

ひとえに「教学ノート」を1ページ1ページと読み進めて大聖人様の教えを学び、

さらに、身につけた教学をしっかりと日々の信心修行や実生活、

さらには広宣流布のために役立てていくことが重要なのです。

 

 ポイントと復習

 ここでは、毎日の教学のポイントをまとめたり、

または、以前に学んだ用語が出てきた時などに、

必要に応じて復習を兼ねて簡単に説明します。

 日頃、疑問に思ってることを書き留めて自分で調べて予習をしておくと、

さらに楽しいですよ。