【教学基礎講座】8

 

「大白法」 平成27年6月16日(第911号)

 

【教学基礎講座】8

 

釈尊最初の説法『四諦

 

ー苦からの脱却ー

 

◎《四諦とは何か》

 釈尊は三十歳の時、菩提樹の下で悟りを開きました。 覚者となって初めに法を説くことを「初転法輪」と言います。釈尊初転法輪として、鹿野苑で阿若陳如ら五人に四諦の法門を説きました。「諦」は「真理」の ことですから、四諦とは「仏が悟った四つの真理」ということです。

 この四諦は苦諦・集諦・滅諦・道諦を言い、 苦の現実相とその原因(苦諦・集諦)、 さらに苦を脱却した悟りの境地とそこに至る修行(滅諦・道諦)を明らかにすることを説いたものです。

  一般に物事の因果を論ずる場合、はじめに原因を挙げ次に結果を述べますが、苦集滅道という順序は、苦の結果(苦)・苦の原因(集)・涅槃(さとり)の結果(滅) ・涅槃の原因(道)というように、 結果を先に挙げています。それはなぜかと言いますと、はじめに結果の相をはっきり示して、より効果的に衆生を導こうとするためなのです。

 

 一、苦諦

   ー苦の現実相ー

 私たちの住む世界、すなわち欲望に支配される欲界は汚れと苦悩が充満しています。人生の苦しみの相は様々ですが、それらの中で最も基本的なものとして四苦・八苦と三苦が挙げられます。

 (1)四苦

①生苦(迷いの世界を流転していく苦しみ、また生まれる時の苦しみ)

②老苦(年老いて心身共に衰弱する苦しみ)

③病苦(精神や肉体が不調となることによって受ける苦しみ)

④死苦(全ての財産と縁者を失い、心身ともに破壊する苦しみ)

 (2)八苦

 八苦とは、前の四苦に次の四苦を加えたものです。

愛別離苦(肉親や友人等の愛しい人や執着する物事と離別する苦しみ)

②怨憎会苦(恨み憎む人に会う苦しみ)

③求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)

五陰盛苦(自分の身や感覚・認識等に執着することによる苦しみ)

 (3)三苦

①苦苦(望ましくないものについて生じる心理的な苦痛)

②壊苦(望ましいものが変化消滅することによって生じる苦しみ)

③行苦(すべてのものが無常であることに伴って認識される苦しみ)

 

 二、集諦

   ー苦の原因ー

「集」とは集起・招集のことで、ここでは

「煩悩が集まり起こる」という意味と

「煩悩によって生死(迷いの世界)の苦を招き集める」という意味から

「集諦」と言います。 

 仏教では、私たちが苦しむ原因は煩悩にあると説きますが、

煩悩の中でも三界六道の煩悩は見思の惑と言われるもので、

見惑とは真実の道理に迷う理性生の惑であり、

思惑とは物事を思慮する時に起こる感情的な迷いを言い、

これらは貪・瞋・癡の三毒が根本になっています。

 また、『四諦経』には、苦の原因として、欲愛・有愛・無有愛の「三愛」が説かれています。

欲愛とは心身の欲望を満たそうとする情愛を言い、

有愛とは物質や思想さらに生存そのものに対する執着を言い、

無有愛とは生存を否定する考えに執着することを言います。

 

 三、滅諦

   ー口を離れた理想境ー

 「滅」とは、苦の因である煩悩をすべて滅し尽くした状態を言い、この世の無常を超越し、執着をなくすことが苦を消滅した悟りの境地なのであり、これを滅諦と言います。この状態を涅槃寂静の境地とも言います。

 

 四、道諦

   ー理想境に至る修行ー

 道諦とは苦を消滅するには正しい修行が必要であるということです。

釈尊は、聖者となるためには「八正道」を修行せよと説きました。

 八正道とは、

①正見(仏教の道理に適った正しい智慧

②正思唯(正しい考えと意思)

③正語(妄語や悪口等を排した正しい言動)

④正業(殺生や偸盗等を離れた正しい行為)

⑤正命(身口意の三業を清淨にした正しい生活)

正精進(善法を求めるための正しい努力)

⑦正念(涅槃の理想とそのための修行を忘れることなくすでに思う心)

⑧正定(正しい知恵による精神統一)のことです。 

 

 ◎四種の四諦

 

 この四諦の法は、『諸経と法華経と難易の事』に、

「声聞には四諦、縁覚には十二因縁、菩薩には六度」(御書一四六九㌻)

と仰せられるように、声聞が見思の惑を断じて阿羅漢果を得るためのもので、未だ真実を顕わさない小乗教の法門です。しかし天台大師は、四諦の法は、苦を脱却する因果の法という点において、仏教全般に通じる根本法事であるとして、蔵・通・別・円の四教のそれぞれ四諦を立てました。 これが「四種の四諦」です。今その名目を挙げてみますと、

①消滅の四諦(蔵教) 

 四諦因果の諸法に生あり滅ありと説く。

②無生の四諦(通教)

 迷悟の因果は共に空無であり、実の消滅はないと説く。

③ 無量の四諦(別教)

 界内(六道)と界外(四聖界)にわたる四諦の法門は無量であり、菩薩が修学するものと説く。

④無作の四諦(円教)

 法界の真実相は煩悩即菩提・生死即涅槃であり、断証の造作を離れたものと説く。

このように、衆生の苦を解決するために説かれた仏教と言っても、その教義

は経典によって様々です。

 日蓮大聖人は『御義口伝』に、

法華経に値ひ奉る時、八苦の煩悩の火、自受用報身の智火と開覚するなり」(御書一七三九㌻)

と仰せられ、さらに、

「妙の一字の智剣を以て生死煩悩の縄を切るなり」(御書一七五九㌻)

と御指南されています。 すなわち末法における真実の解脱は、文底の大法たる大御本尊を受持し奉り、信心に励む以外にないのです。